すべての、白いものたちの
ハン・ガン(韓江)
はじめて韓国人が韓国語で書いた本を日本語に訳された本をよんだ。
翻訳された本はほんものだとはおもっていない。とくに文学作品は。でも仕方ない。おれは韓国語よめないから翻訳にたよるしかない。
よみはじめてすぐ翻訳された独特の感じだな!って印象をうけたあと、韓国人や韓国ドラマからも感じとられる彼らの感傷的で情緒的な表現に引きこまれた。韓国人の書く小説はみんなこんな感じなのかなとおもったけど、巻末の平野啓一郎氏の解説によるとハン・ガン特有の表現らしい。
やっぱり韓国語でよめないことは残念だな。
3章構成で1章から2章にすすんだとき、「あれ?彼女?だれ?」と視点がわからなくなったけどこれまた巻末の訳者による説明でそういうことかと納得した。
姉が生後2時間で死ぬ。
しなないでおねがい。
ほとんどのにんげんがそんなお願いをしたことがなく生きているはず。とくに現代日本では。それでも早産で保育器のある医療も発展したこの時代でも子をなくすひとはいるんだろう。早産でなくても事故だったり。さっきまで元気だったこどもが車に引かれて川でおぼれて息をしない。べつに赤ちゃんやこどもだけでなくてもいい。働きざかりの若者やまだ未成年のこどものいるお父さんとかお母さんだったり。
身近に死を体験すると生死に対してどう向き合うんだろうか。
おれの母親もおれが生まれるまえに流産してるけど形を成さずしてなくすのと産声をあげてなくすのとではまったくちがうだろう。母親から流産の話を聞いたこどものころはもしじぶんに兄や姉がいたらどんな感じだったのかと考えることはあったけど、作者のように深く考えたことはなかった。
流産した子がふつうに生まれて育っていれば、たしかにおれは存在していなかったかもしれない。そう考えるとおもしろいし気味もわるい。
生は誰に対しても特段に好意的ではない。
好意的ではないし不平等だよな。
病死もあるし事故死もあるし外国だったら戦争で死ぬ。日本もそのうち戦争をはじめるかもしれないけどそうしたらもっと死ぬね。
じぶんは死ぬのにあいつは生きてる。わが子は死んだのにあの子は生きてる。あのひとは死んだのにじぶんは生きてる。
生と死を運命的、精神的、宗教的に考えると頭がぐるぐるしてくるけどにんげんも単純に地球上にいるだけの生物にすぎない。アスファルトをはうアリが1匹踏みつぶされて死んでも山のサルが1匹食いっぱぐれて死んでもべつのアリがいるしべつのサルがいる。
にんげんだけがアホみたいに生きてる。
「白い」「흰」
韓国人って白がすきな印象を持っている。白い服とか白い家具とか選択できるものは白ってイメージ。韓国語の「白い」には日本語にはない意味があるそうで、白だけじゃなくそれぞれの色に対する感覚は各国に国民性があってどれだけうまく翻訳されても外国人には理解できない感性がある。
それにしても韓国人初のノーベル文学賞受賞で盛り上がってるのかと思いきや一部は批判しているらしい。べつのタイトルの本で歴史を歪曲しているだとか小中学生には有害図書だとか。廃棄するなら1冊おれにくれ。
韓国政府はこれを機に文学に力入れそうだけどな。
48ページの「月」と53ページの「ハンカチ」がすき。(ページ数はKindle版)
ハン・ガンの作品はほかにthe vegetarianをよんでみたい。邦題わすれた。


